50歳、年収1,200万円の会社員が"独立"を決めた理由

―「10年後、わくわくできるか?」その問いがすべてだった―

■安定した生活と、心の奥のざわつき

「このまま、あと10年ここにいて、自分はわくわくできるか?」

ある日、ふとそんな問いが胸の奥から湧き上がってきた。
特に何か不満があるわけじゃない。
会社ではマネージャーとしての役割もあるし、年収も1,200万円を超えている。
立場もあるし、社会的にも“うまくいっている部類”に入るのだと思う。

だけど――
その問いに対する答えは、明確だった。

わくわくしなかった。

むしろ、このまま時間だけが過ぎていくことに、どこか怖さを感じた。

■歩合制営業で学んだ、人生の「原点」

私は20代、歩合制の営業の世界に飛び込んだ。
地獄も天国も見た。
正解も保証もない中で、毎日ひとつひとつ積み重ねるしかなかった。

お客さんはみんな、社長。
自分の看板で勝負している人ばかりだった。

その姿は眩しかった。
そしてどこか、自分の中に火を灯してくれた。

「自分で稼ぐ」ということに、特別な重さを感じなくなっていったのは、あの頃からだと思う。

■あの頃の自分が、今の私を見たら…

「それでいいのか?」

10代や20代の頃の自分が、
今の自分を見たら、たぶんそう言うんじゃないかと思った。

安定している。
生活には困っていない。
でも、なにか大切なものを“置いてきたまま”のような気がしていた。

■決断のきっかけは、家族だった

挑戦する理由は、たくさんある。
でも一番のきっかけは、家族の存在だった。

私には、3人の子どもがいる。

それぞれが、自分の道を選び、悩みながらも、前に進もうとしている。
時に不安そうな顔をしながらも、夢に向かって行動している。

その姿を見て、思った。
「自分は、彼らに何を見せているだろう?」

■子どもたちに、挑戦する背中を見せたい

「やりたいことがあるけど、もう50歳だし」
「今さら変えるのは怖いし」
そんな言い訳は、彼らの前では通用しない。

挑戦している子どもたちに、
言葉で応援するだけじゃなくて、背中で伝えたい。

何歳でも挑戦できる。
それを、自分の人生で示したい。

■そして、私の挑戦は“ひとりのもの”じゃない

挑戦すると決めたとき、
そっと背中を押してくれたのは、妻だった。

「俺、独立しようかな…」

そんな俺の呟きに妻は、

「やってみたら」

不安な気持ちを飲み込みながら、そう言ってくれた。

そして、両親も、同じように見守ってくれた。
幼少期、私は父の働く背中をほとんど見ていない。
でも、不思議と「やってみな」と言ってくれる家庭だった。

あの空気が、今の私をつくってくれたのだと思う。

■「何歳からでも、人生は動かせる」

50歳での独立は、たしかに遅いかもしれない。
でも、心が動かない場所にとどまる10年より、
たとえ失敗しても、自分で選んだ道を歩む10年のほうが、私はわくわくする。

そして、そう思えるのは、
応援してくれる家族の存在があるからこそだ。

何歳だって、人は挑戦できる。
私は、それを自分の人生で証明したい。

■最後に

私は、会社員を辞めます。
安定を手放して、これからの人生を、自分の足で歩いていきます。

それは、“一人で頑張る”という意味ではありません。
これまで支えてくれた妻、挑戦を重ねる子どもたち、そして両親――
家族の存在が、私の挑戦を可能にしてくれた。

本当にありがとう。

これからの人生、私は胸を張って歩きます。
そしてその背中を、子どもたちに見せていきます。

最後まで読んでいただき感謝です。