プロティアンキャリアという生き方 ~矢島の50歳からの挑戦~

人は、誰のために働くのか。
会社のためか、家族のためか、自分のためか——。
若い頃は、そんなことを深く考えたことがなかった。
目の前の仕事、生活、ノルマ、上司、部下、そんなものに追われ、ただ毎日をこなすだけだった。
けれど、50代になった今、ようやく分かった気がする。
キャリアとは「与えられるもの」ではなく「自分で創るもの」だと。
これは、そんな私が歩んできた、ひとりの男の“プロティアンキャリア”の物語。
第一章|自律性──誇れるものなど何もない20代
20才。
学歴も、コネも、誇れるものなど何一つなかった。
飛び込んだのは、歩合制営業。
いわゆる、売れなきゃ給料ゼロの世界だった。
来る日も来る日も、飛び込み営業を繰り返す。
冷たくあしらわれる。
時には怒鳴られ、門前払い。
夜、家に帰ると情けなくて涙が出たこともある。
だが、翌朝もスーツに袖を通した。
やるしかなかった。
初めて契約を取れた日。
手が震えた。
帰り道、車の中で叫んだ。「よっしゃーーーー!」
誰にも聞かれないように、けれど誰かに聞いてほしい、そんな叫びだった。
あの日、私は知った。
「努力は裏切らない」
他人でも、組織でもない。
自分が、自分の未来を掴んだのだ。
第二章|柔軟性──震災と、静かに崩れた世界
30代半ば。
東日本大震災がすべてを変えた。
「この子たちを、どうやって生かすか」
あの瞬間、恐怖よりも、父親としてどう家族を守るかしか考えられなかった。
しかし震災だけでは終わらなかった。
突発性難聴、めまい、そして左遷。
想像もしなかった試練が、容赦なく襲いかかってきた。
積み重ねた自信、実績、人間関係──、全部が音を立てて崩れた。
それでも、足は止めなかった。
副業としてアパート経営に挑んだ。
ところが、銀行から800万円すら借りられない現実が突きつけられる。
「自分は、社会から信用されていないのか」
双子の弟は何千万の融資を受けているのに、自分は800万円すら借りられない。
悔しくて、悔しくて、眠れない夜を過ごした。
だが、その夜、決めた。
「社会から信頼される人間になる」
第三章|自分基準──誰も知らない都会で
40代、初めての首都圏勤務。
東北で積み上げた実績も、名も、ここでは何の意味もなかった。
「誰も、俺を知らない」
空気は冷たく、言葉は届かない。
それでも、歯を食いしばって営業を続けた。
そんなある日、震災で知り合った恩人に電話をかけた。
「覚えてるよ」
たった一言に、堪えていた涙が溢れた。
恩人は、30億円の案件を任せてくれた。
そこから、私は過去最高益を叩き出した。
“数字を追わないマネジメント”を、誰に教わったわけでもなく、自分自身の手で創り上げた。
あのとき、ようやく思えた。
「自分のキャリアは、自分で創れるんだ」
第四章|50代──理不尽の先に見えたもの
50代。
2度目の左遷。
心のどこかで覚悟していた。
しかし、実際にその日が来たとき、悔しさは隠せなかった。
誰よりも実績を残してきた。
それでも、現実は非情だった。
夜、ベッドの中で、誰にも聞かれないように泣いた。
けれど、あの日の涙は、20代の頃とは違った。
もう迷っていなかった。
自分には、別の道が見えていた。
副業、信頼、経験、そして仲間。
すべてが、私を支えてくれていた。
組織に振り回されない力を、ようやく手に入れたのだ。
終章|あなたのキャリアは、誰のものか
キャリアは、与えられるものじゃない。
組織に守られるものでもない。
何度でも、自分の手で創り直せるものだ。
50代の私が、今、その証拠だ。
あなたは、これからのキャリアを、どう生きますか?
最後まで読んでいただき感謝です。